時代の要請

母から何度も聞かされた昔話について。
「私の学校の先生は、何かあると、ストーブの薪やらスリッパやらで、おまえらー!パンパーン!と私たちを叩いたのよ。悪ガキたちがいてね、私は生徒会の副会長をやっていたから、生徒会の都合でバレーボール部の練習に遅れることがあって、遅刻してコートの外に座らされていると、やーいやーい、ってはやしたり、遠征試合の弁当にもってきたふかしイモを盗み食いしたりして、連中は先生によく叩かれていたのよ」。

これまでに、少なくとも10回は聞かされた話です。

この先生を囲む同窓会では、今でも卒業生の間で、痛い思い出が話題にのぼるそうです。今になってもそんな話をするとは、みんな先生のことを相当うらみに思っているのではないかと、私が茶化すと、そうではないと母は否定します。

現在では考えられないようなスパルタ教育ですが、いわゆる体罰が良いか悪いかという問題ではなく、時代の要請への適性の問題だと思います。時代が今よりも厳しく、子供たちも強くなければ生きていけなかったから、スパルタが自然に受け入れられていたのだと思います。

一方、厳しい時代だったから、弱者に対するいじめや差別も、露骨だったのだろうかと想像しました。ところが母によると、悪ガキたちを含めて、いじめや差別をする生徒はいなかったそうです。

いろいろな人がいたから、というのが母の説明でした。多様性が日常だったから、個人間の違いを攻撃するよりも、あたりまえのこととして受け入れていたということでしょうか。

現在は、人権や差別に関する教育が進んでいます。しかし、いじめや差別は、社会からも学校からも、一向になくならないように思います。現代に適した教育方法が見つかっていないのか、あるいは時代が差別を容認しているのでしょう。

もし後者だとしたら、母の時代とは違った意味で、今の子供たちは相当に厳しい時代を生きているのだと思います。
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by sunaogoto | 2005-11-15 23:57