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by sunaogoto

スリランカ行4

木曜日
この日は、ポロンナルワを出て、シーギリヤとダンブッラという遺跡を見学し、キャンディという古都に向かいました。アントンの車のおかげで、アヌラーダプラを出てから、たったの2日間で、文化三角地帯を見終えることができました。

シーギリヤは、ねたみぶかい臣下にそそのかされて、父親である王を殺した古代アヌラーダブラの王子が、弟の復讐をおそれてたてこもった岩山の要塞です。高さ200メートルの、まるで隕石のような岩山は堅固そのものですが、要塞の一部は妖精をえがいた壁画でおおわれ(今はほとんど残っていませんが)、岩山の前には、水でおおわれた豪華な庭園があるなど、要塞とは対照的な美的感覚が印象的でした。また、岩山の頂上にある宮殿まで、200メートル下を流れる川から水を汲み上げる技術力もあったそうです。

シーギリヤの王子は、結局、弟に殺されました。愚か者の王子のくせに、たいしたセンスと技術力です。

続いて、ダンブッラは岩山の地形を利用した、岩窟の仏院でした。ひんやりとした、それぞれの仏院の中には、いくつものブッダがならび、天井の岩壁は、ブッダや仏教に関する壁画でおおわれています。

スリランカでは、ブッダの像や絵をバックにした、人物の写真をとることはタブーです。写真に写る人が、ブッダに背を向けて、記念撮影することになるからです。ダンブッラでは以前に、観光客が、背をブッダ像に向け、ブッダ像の掌に座って記念撮影をしたことが、大問題になったそうです。仏院のひとつに、際立ってぴかぴかのブッダがありました。きっとこれです。観光客に冒瀆されたブッダ像は、法力が失われたため、色を塗りなおしたそうですから。

ダンブッラからキャンディに向かう途中で、アトラはハーブ農園に車をとめました。どうやら、アントンの観光コースに入っているようです。農園主から、植えてあるハーブについて一通り説明を受け終え、おまちかねのハーブの展示販売です。私が、肌に良いとされるサンダル・ウッドのクリームを物色していると、農園主が、「これも買って、小びんで良いから。あなた必要ですよ、これ。45日間使えば、100%髪が生える。遅くないですよ」。その名もキング・ココナッツ・オイル。値切って話がまとまったところで、アントンを見ると、その手には、キング・ココナッツ・オイルの大びんが。「ぼくも抜け毛が気になるんだよね。。。」。

キャンディでは、この旅行でナンバー3のホテルに泊まりました(ナンバー2はコロンボで友人が手配してくれた高級ホテル)。部屋の設備もよいのですが、従業員の折り目正しさに、金を払ってこそ受けられる安心感を感じました。

キャンディは、イギリスに支配されるまでの、最後のスリランカ王国があった古都です。コロンボから、車や電車のアクセスが良いこともあり、他の地域に比べて、外国人観光客を多く目にしました。夕方、見物したキャンディ舞踊や、ホテルのブッフェ・レストランは、外国人でいっぱいです。

いかにも観光客向けのショーやホテルは、本来バックパッカーであるアントンにとって不本意なようでしたが、これまでの行程で、スリランカがすっかり気に入ったようです。「自然は豊かだし、人はやさしいし、すごくよいね」、「キング・ココナッツ・オイルもあるぞ」、「そうそう、あれが本当に効いたら、スリランカに永住したくなるかもね」。
# by sunaogoto | 2006-01-04 21:38

スリランカ行3

水曜日
朝からドライバーの運転するファミリアDXに乗って、別の遺跡のあるポロンナルワという町に向かいました。車は、昨晩、出会ったフィリピン青年の雇ったもので、ドライバーはスリランカ人のアトラ。バスで3時間はかかる道のりを、アトラは何台ものバスや車をクラクションをさかんに鳴らしながら追い越し、2時間ほどで走りぬきました。

フィリピン青年の名前はアントン、29歳。フィリピンはミンダナオ島の出身で、3ヶ月間ほど東南アジアを旅行し、しめくくりにスリランカにやってきました。10日間ほどでスリランカを回りたいために、車をチャーターしたそうです。

アントンの回る先は、ちょうど私が行きたいと思っている先でした。車に乗せてもらう代わりに、私が各地のガイド代と、サファリの入場料を負担することで、私が同行することが決まりました。

ポロンナルワは、アヌラーダプラをインド人に追われたシンハラ王朝が逃れた先で、10世紀から200年間、続いた王国を築いた場所です。ここではガイドを雇ったので(400円)、詳しい説明が聞けました。王の宮殿は、原型はレンガをしっくいで覆い、1000の部屋をもつ、7階建ての巨大建築物だったそうです。

アヌラーダプラと同様に、ここにも大きな貯水池があります。スリランカの内陸部は、コロンボに比べて湿気が低く、暑く感じます。貯水池がなければ人が暮らしていけなかったに違いありません。

ポロンナルワの宿は、ザ・ビレッジという安宿でした。少し離れたところに、まったく同じ名前のホテルがあり、こちらは高級な有名ホテルです。私たちの泊まった、ザ・ビレッジは沼のほとりにあり、水浴びにきた野生のゾウたちが、宿に乱入し、人々を追い回すことがしばしばあったそうです。しかし、今年の2月に、電流じこみの柵がつくられてからは、ゾウの被害はなくなりました。野生動物の好きなアントンは、ゾウが来なくなったと聞いて、しきりに残念がっていました。

宿の近くの沼のほとりに、大きなブッダの立像があったので、アントンとその前ですわって日暮れまで話をしました。アントンは両親、兄姉妹の6人家族で、お父さんはバスク出身のスペイン人です。お父さんが肉牛やココナッツ農園などを手広く運営し、伯父さんは証券会社、そして叔母さんはレストランを経営する、やり手ファミリーの一員です。アントン自身も、叔母さんのレストランのマネージャーとして新しいメニューの開発や、新店舗のインテリアデザインなどをしきっています。

「ミンダナオはけっこう、めちゃくちゃだよ。ぼくが花のビジネスをやっていたことがあるんだけど、ギャングと土地の所有権でもめて、家や車もろとも、花畑を焼かれちゃった。あの頃は金持ちだったな。。。インドではダブルブッキングのせいで、電車の席がとれなくて、一昼夜をトイレの横で過ごしたよ。汚かったねー。それからもっと前にトルコに旅行したときは、ぼったくりバーでやくざに銃をつきつけられたりして・・・」。発展途上国で聞く、別の発展途上国の人の話は、興味深かったです。

ブッダの立像には、地元の人たちや、通りがかりのトラックの運転手が、熱心に御参りに来ていました。

つづく
# by sunaogoto | 2005-12-28 22:34

スリランカ行2

月曜日
朝ホテルで朝食をとっているとき、となりのテーブルにいたベトナム人とおしゃべりしました。彼はベトナム生まれのアメリカ育ちで、今はシンガポールに住みながら、スリランカを仕事でたびたび訪れます。彼はホームページ製作の請負業をしていて、80人ほどのスリランカ人を雇っているそうです。彼いわく、「スリランカ人は勤勉で、仕事をおぼえるために進んで残業する」。この国では、男性も女性も、識字率が90%を越えると、飛行機の中で読んだことを思い出しながら、感心しました。

コロンボ市内にある政府観光局に立ち寄り、旅行の情報を集め、近くの本屋で遺跡に関する本を入手した後に、市内バスに乗りました。

コロンボ市内には、政府のバスと、民間バスが走っています。友人によると、民間のバス会社は数が多く、互いの競争が激しいためか、バスは乱暴なまでに急いで走ります。バスはインド製のTATAという車種で、乗用車に横腹をぶつけてくることもあるそうです。まるで暴れゾウです。

バスには運転手の他に、乗務員がいます。私が乗ったバスには、若い男性の乗務員がいて、乗客の行き先を聞きながら料金を集め、バスの前後にあるドアを通じて、バスの内外を走り回りながら、「××行きだよ、乗った乗った乗ったー!」のような感じで、道を歩く人に盛んに声をかけていました。

友人は、乗降車の際にバスがきちんと止まらず、乗客は動いているバスから飛び降りたり、バスに飛び乗ったりすると言っていました。しかし、子供や老人が乗り降りするときは、乗務員が見ていて、必要に応じて運転手に合図をして、バスを静止させていました。

6円の運賃を払い、40分ほどバスに乗って、私が降りたのは、コロンボから12キロ離れた、マウント・ラヴィニヤという古いリゾートです。岬から海に向かってせり出すように白いコロニアル風のマウント・ラヴィニヤ・ホテルが建っており、インド洋を眼前に、プールがあります。海岸線沿いには、遠くにコロンボの町を望めます。入場料の400円を払って、プールで泳いだり、プールサイドで食事や読書をしたりして、のんびり過ごしました。

夕方になって、従業員の「雨が来る」という言葉をきっかけに、私はホテルを出て、鉄道の駅に向かいました。電車に乗ってまもなく、大雨が降り出しました。1年前は、この路線も津波の被害に遭い、乗客は電車ごと押し流され、湿地帯に沈んだそうです。

電車の一緒の席に座ったスリランカ人たちは、初めて会う同士なのに、膝や肩を叩き合いながら談笑します。「ここ、ここ、ここに座れよ。今日は何の買い物?DVD?どれどれ?」と勝手に、他人の買い物袋を開けています。ビニール袋の中には、むき出しの洋画DVD。明らかに海賊版です。コロンボまでの運賃は7円でした。

夜は友人宅に、食事に招かれました。友人の通いのメイドさんが、たくさんのカレーを作ってくれました。スリランカのお米は、あっさり軽い口ざわりでお腹にもたれないせいか、いくらでも食べられるような気がしました。

火曜日
朝から長距離バスに乗って、内陸のアヌラーダプラという町に向かいました。アヌラーダプラには、紀元前500年から10世紀まで続いた、スリランカ最古の王国があったそうです。ここと、ポロンナルワと、キャンディという3つの町の間の地域には、歴史的な遺跡が多く、文化三角地帯と呼ばれています。この地域を回った後に、コロンボへ戻り、そこからさらに南下して、ビーチに行こうと思っていました。

ところが、バスの移動は思っていた以上に時間がかかりました。高速道路がないため、バスは下道を延々と走るのです。また、バスの乗務員は、バスが信号や渋滞で止まるたびに、ドアを開けて、通行人に乗車を呼びかけます。長距離バスでありながら、各地域のローカルバスの役目も果たしている点には感心しますが、時間も余計にかかります。

5時間かけてアヌラーダプラに着き、宿を決めて荷物を下ろしたのが15:00。自転車を借りて、やたらと広い(5km×2km)遺跡群に向かうと、客がいなくてひもじい土産売りの他は、ほとんど誰もいません。勘にまかせて走っていたら、すっかり迷ってしまい、近所の子供たちに道を聞いたり、一緒にお茶を飲んだりしながら、あるいは野良犬に追いかけられながら、日がくれる頃に、宿にたどりつきました。

遺跡をじっくりと鑑賞はできませんでしたが、自転車を走らせながら、ダーガバと呼ばれる仏塔を多く目にしました。そのうち、私がゆっくりと見ることのできた、ジェータワナ・ラーマヤという仏塔は、原型は高さが120メートルもあったそうです。また、道に迷って、湖のほとりをしばらく走りましたが、この湖は、大昔に造られた貯水池だったと後で知りました。湖は大きく、向こう岸の仏塔が、数cmに見えるほどでした。大した文明力です。もっと観光客で賑わっても良さそうなものです。

宿のレストランで夕食をとりながら、どうやらこのままだとビーチに行く時間はない、と計画を考え直していたときに、同じ宿に泊まっていた、フィリピン人青年と知り合いました。ビール瓶を片手に、私のテーブルに着くと、彼はこう言いました。「ぼくには車がある。ドライバー付きの。どう?この先、一緒に行かない?」

つづく
# by sunaogoto | 2005-12-23 00:42

スリランカ行1

休暇をとって、2週間弱、スリランカを旅行してきました。

スリランカは、7年前に旅行を計画して、断念した場所です。そのときは、武装勢力による爆弾テロが頻発したため、外務省が強い渡航警告を発したのです。

2001年に停戦が合意されてからは、情勢が落ち着いており、ちょうど当地に赴任している大学時代の友人を訪ねたいと思い、スリランカ行きを決めました。

土曜日
成田からスリランカのコロンボまでは、スリランカ航空の直行便が、週に数回、出ています。エコノミークラスでも、フットレストや乗客1人ずつのスクリーンがあって快適だし、搭乗員は親切で、カレーはおいしく、私はセイロン紅茶を何杯もおかわりしました。

9時間のフライトの後、日本からマイナス3時間の時差のコロンボに夜の8時に着き、飛行機を降りると気温は30度。蒸し暑いです。モルジブへ向かう大勢の乗り換え客と別れ、出稼ぎ帰りのスリランカ人を狙った家電製品の多い免税店フロアを抜けると、空港の外には、友人が待っていてくれました。

友人が予約しておいてくれたホテルにチェックインし、プールサイドの屋外レストランで、深夜近くまでのんびりしました。

日曜日
朝早く目が覚めてしまったので、ホテルを出て、海岸沿いの公園を散歩していると、出会ったのがセバスチャン(41歳、男、クリスチャン、13歳の息子にすでに背を越された)。「(高級ホテルの)ガラダリに勤めている(←うそ)。今日は非番(←うそ)。今日は特別な仏教の日(←うそ)だから、一緒にお寺に行こう」。スリーウィーラー(屋根付き3輪バイク)に10分ほど乗って着いたのは、後でガンガラーマ寺院だと知りました。

靴を脱いで敷地に入ると、寺院の中で、白い服を着た大勢の子供たちが、大きなぴかぴかのブッダの前で、お祈りしていました。寺院の内装は、多色彩の絵や彫り物でいっぱいです。まるで、キリスト教の教会の壁画の立体版です。

セバスチャン、「あんたは仏教徒か」、「ちがう、神道だ。神道は太陽とか月とか、自然を拝むんだ(←適当)」、「そうか、ミスター・シントー(←意味がわかっていない)、こっちに宝石展があるぜ。(彼の本当の目的→)スリランカには良い宝石がいっぱいあってね・・・」、(無視して)「おお、これはすごい菩提樹だ」。

仏教の寺院ですが、敷地内の一部にはヒンズー教の神様の絵が飾られているし、全体的に、仏教とヒンズー教が一体となっているような印象を受けました。スリランカは人口の約70%が仏教徒で、約15%がヒンズー教徒だそうです。その他に、カトリックやイスラム教徒もいます。コロンボの町には、あちこちにブッダ像やモスクや教会が見えました。

ホテルに戻って朝食をとった後、友人が車で迎えに来てくれました。友人のガードマン付き高層マンションに着いて、日本からもってきたおみやげ(八つ橋、桜漬け、スッポンゼリー)を渡すと、友人も奥さんも大喜び。友人いわく、「モノの少ない国にいると、モノのありがたさや、人の好意がよくわかる。こういう環境で子供を育てられるのは幸運だ」。もうすぐ4歳になる友人の娘さんも、まもなく第2子を出産する予定の奥さんも、たいへん元気そうでした。

友人と別れて、ペターという地域にある市場で買い物をしました。買い物は、シャツ(2×150円)、ズボン(150円)、下着(3つで100円)、靴下(値段失念)、虫よけ(120円)。これで旅行の準備が整いました。

つづく
# by sunaogoto | 2005-12-21 23:48

自由

出発前に読んだ本のこと。
川端裕人の「リスクテイカー」という小説を読みました。若いヘッジファンドのトレーダーを主人公に、1990年代後半の、アジア通貨危機やロシア危機を描いた作品です。特に、後半は、展開が速く、躍動感があり、一気に読み進める傑作だと思いました。

この小説は、ヘッジファンドの活躍を描くだけではなく、価値の裏づけのあやふやになった、お金という存在の意義について、問いを投げかけています。主人公たちは、何百、何千億円という大金をトレーディングで稼ぎながら、お金とは一体何なのか、と絶えず自分自身に、そしてお互いに問いかけるのです。

小説の中で、主人公たちの後見人役である、ヘッジファンド業界の大物の老人が、「お金は自分たちの価値を測る基準のひとつだが、お金に測られなくなれば自由になれるのかもしれない」と言います。貧困や差別から自由になるためにお金を稼ぐ、しかしお金をいくら手に入れても、本当に自由になれるのか、答えは出ないまま小説は終わります。

私が自由をもっとも感じるのは、海外旅行をしているときです。オランダの列車の窓から、地平線いっぱいに広がる田園風景と、そこを流れる小川に浮かぶアヒルたちを見ていたときや、がらがらの電車のコンパートメントで横になって、スペインの夕日と赤土の大地を眺めたときなど、孤独ながら、体いっぱいの自由を感じました。

明日から1年ぶりの海外旅行に出ます。きっと今回も、お金では測ることのできない、自由な満足感を楽しめると期待しています。
# by sunaogoto | 2005-12-02 23:48